2月 3rd, 2022年
家族葬、その前後
たぶん東日本大震災以来でしょう、2週間も釣りに行かなかったのは。やむを得ない事情……実の母が亡くなったからです。取材、釣りフェスの出演、プライベート釣行、仕事関係も含めて、この2週間の予定はすべて飛んでしまいました。ご迷惑をおかけした皆様には改めてお詫び申し上げます。
とりあえず、忌引きの期間に入る前の釣行から。
14日(金曜)は三浦半島京急大津のいなの丸さんからタチウオ&マダイの仕立船取材です。この日はダイワの新製品「ニューシーボーグ200J」を使用しての釣り。大型船に3人だけの超大名釣りで、ワタクシも苦手なタチウオ、落ちのマダイもしっかり釣らせていただきました。このリール未来を見すえた画期的な機能を搭載しています、恐れ入りました。この模様は2月15日発売号に掲載します。
16日(日曜)は東京湾奥小柴港のM丸さんから今期2回目のスミイカです。
この模様は現在発売中の『つり情報』、拙稿連載にしたためております。それにしてもこの日のモンゴウイカはデカかった。写真のIさんは次号から本誌ライター陣に参加、今後の活躍に期待しております。
以前にも書いたと思いますが、ワタクシの母親は昨年の6月から特別養護老人ホームにお世話になっていました。コロナで面会もままならず、ガラス越しにですが、行くたびに元気な姿を見せてくれました。
今年になって95歳の誕生日を迎えたころから急に食欲がなくなり、みるみる体力を落としていきました。そのころからワタクシは特養のある秩父通いが始まります。
スミイカ釣行を終えた夜、特養の方から「どうも様子がおかしいので、お会いになることをおすすめします」との連絡。翌日は取材でしたが、急きょキャンセルして秩父に帰りました。コロナで通常は面会謝絶ではありましたが、特別なはからいで病室に入れていただきます。
ひと目見たとたん、死期が近づいているのが分かりました(この状況も拙稿連載にしたためております)。食事はおろか水分さえ取ろうとしません。明らかに老衰の症状でした。その日はいったん自宅に戻りました。人にもよりますが長くて1カ月、が医師に話でもありました。
18日(火曜)はいつものように出社して仕事。午後4時過ぎ、突然特養の方から電話、ある程度覚悟していましたが、そのとおりでした。
特養、葬儀社と話して、引き取りは翌19日。朝9時に特養に着くと、すでに死に化粧を施された母の姿。実に穏やかで自然な表情でした。
葬儀場、焼き場の都合で、21日通夜、22日葬儀と決定。こんな時期でもあるので家族葬とし、知らせるのは親戚関係とごく一部の友人のみとしました。翌日は再び自宅に戻り、葬儀の準備。21日の朝、三たび秩父へ向かいます。
通夜、葬儀は滞りなく終わりました。ちょっとばかり寂しいお別れ会でしたが、精いっぱい喪主を務めましたので、母も納得してくれていると思います。
御年95歳。相方が逝ってから十数年、秩父で一人暮らし。毎日の楽しみはデイサービス、意外だったのがカラオケが好きだったと後に分かりました。ワタクシでさえ一度も聞いたことありません、それなりに残りの人生を謳歌していたのでしょう。今ごろ天国でもやかましく歌っているかもしれません。
さ・よ・う・な・ら。
そんなわけで、2週間ぶりの釣行となったのは1月31日(月曜)でした。九十九里のアカムツ取材がシケで中止となったので、急きょプライベートのスミイカ釣りに変更しました。久しぶりに訪れる東京湾奥磯子のN丸からの出船です。
この日は北風が吹き荒れる寒い日、加えて高水温の澄み潮で釣況は最悪とのことでしたが、ワタクシにとっては2週間ぶりの海。釣果など関係ありません、竿を出せるだけで満足なのです。
と思っていたら、ちっとも釣れません。同行の2人はさっさと型を見ましたが、ワタクシには一向に乗ってくれません。今日はオデコと諦めた2時ごろ、初めてのガツンがきて400グラム級がきてくれました。これで十分、わずか1杯でも充実した一日でした。やっぱり海はいいわ〜。
さて、今週からはバシバシ釣行しますよ。コロナが心配だけど感染対策を十分に、7日には3度目のワクチン接種が決まっています。何事もなく釣りができる幸せ、最近はヒシヒシと感じております。
最近のコメント